2023/9/29

ケセラセラ

 

・我思う、故に

 パーフェクトブルーを映画館に見に行きました。いや、とんでもないね。内容の濃さが。脳が胃もたれした。今敏作品初鑑賞となったわけですが……こりゃ一部の層に人気になるわけだ。

 ここから内容に触れながら感想を綴ろうと思う。ネタバレあります。

 鑑賞後、最初に出た感想がこれ。

今思えばこれらよりさよならを教えてが一番近いな。

 信用できない語り手、徐々に狂っていく世界、精神病オチ、正直使い古されたテンプレではあるものの、これが20年以上昔にリリースされたという点でカルト的人気を得ているのだろう。当時のサブカル人間に好かれる絵と題材だと思うし、昨今流行りの「平成レトロ」な映像は現代の若者にも受ける。アングラサブカル好きにはたまらない。なんて冷静に分析してる風を装っているけれど、かなり食らったし、いち元アイドルオタクとして、女として、精神を病んでいるものとして、世界観にのめりこんでしまった。違和感を感じ始めてから急転直下していく展開にもう釘付け。徐々におかしくなっていく映像を見ながら、自己の連続性について考えてしまった。作中でもそんな台詞が出てきたが、自己の連続性というものは、1秒前の記憶によってのみ保たれている。そしてそれを証明できるのは世界にたったひとつ、「自分の主観」という存在。なぜなら世界は自分の知覚できる範囲にしか存在しないから。我思う故に我あり――作中の語り手にはあの世界こそが本物なのだ。

「じゃあ、お前は?」

自分が語りかけてくる。私も生き物として生まれてしまった以上、主観が存在し、その視点からでしか世界を見ることはできない。それが正しいという確証は?存在するという証拠は?……何もない。それでもこの世界で生きていくしかない。怖すぎワロタ。私って何者ですか?クオリアだ水槽の脳だという話は以前この日記でもしたしもうやめておこう。証明できないことを考えたって仕方ないんだから。

 「パーフェクトブルー」。完璧な青。何を意味しているんだろう。ミマというキャラクターは不安定で不鮮明な存在で、完璧とは程遠かった。それでもその状態で既に完璧なのか、完璧に「なりたかった」のか。「私が本物よ」と言い残した彼女こそがパーフェクトブルーだったのか。そもそもあのミマは現実に存在するのか。うーん、なんかあえて分からないままにしておきたいかも。他の今敏作品も見て考えてみたいと思います。

 

カニバーガー

 ドムドムカニバーガー食った。うま!マジでカニ丸ごと1匹入ってた。ソフトシェルクラブなので殻ごと食べられると聞いてはいたが、殻が予想以上に柔らかかった。パリパリですらない。シナ……ペキ……くらい。正直もっと殻の歯ごたえあっても良かった。エビフライの尻尾食べる派なので……。何ならバーベキューのエビも殻ごと食うし、刺身のツマも食うし、唐揚げに添えられたパセリも食う。全部食う。おれに食えないものはない。いや嘘。毒のあるものは食えん。ただ人前だと皿の上のもの全部食うと変な奴だと思われそうなのであえて控えめにしている。特に刺身の添え物はなんかハードルが高い。1人だったら食うけど。つまらんプライドが邪魔するばかりに食ってあげられなくてごめんな。ツマだけに。

おい 笑えよ

来世はおでんの大根かなにかに生まれてくれよ。それも食ってあげられなかったらごめん。大食いなので普段は無限に食えるけどもし飲み会の終盤とかで出会ったら食えないかもしれない。酔ってるとすぐ上から出そうになるから胃に詰め込めなくなるんだよな。そしたらその次の世で。うまれなおしで人生リセット。おれも早くそれやりたい。

 

・ニキビ

 眉毛生えてるところにニキビができて全然治らん。膿の出口はないが絞ると出る。もう1ヵ月以上鎮座しているので粉瘤かもしれない。化粧するとき邪魔で困る。でも病院行くの面倒だな~。

 

・生きるしかねンだよな

 帚木蓬生著「閉鎖病棟」読了しました。精神科の入院患者たちの話。人を殺した者、障害を持って生まれ家族に厄介払いされた者、家に火をつけた者、それぞれさまざまな事情を抱えた患者たちの生き様に胸を打たれた。

 例え人を殺しても、妄想にとりつかれても、生まれたからには人生は続く。狂ってしまった人間の幸せとはどこにあるのか。作中に、院内のレクリエーションの一環として、病棟の入院患者全員で演劇をするシーンがある。脚本は主人公の「チュウさん」が執筆したもの。因みにこのチュウさん、毎日自分の構想が新聞にパクられていると新聞社に投書する糖質患者である。あらすじはこうだ。息子の結婚式を目前に控えた母親が、天国で神様と式の様子を見ている。式の直後、息子の嫁が交通事故で瀕死の状態に。母親は神様に頼んで時間を巻き戻し、その代償に天国の住人たちはなにかひとつ我慢をする誓いを立て、嫁は助かり、ハッピーエンド……といったもの。これを読んで私はやくしまるえつこの「僕の存在証明」の歌詞を思い出していた。どんな業火に焼かれようとも、慈悲をなくしても、あの運命の列車に乗る。歌詞の中でも、この本の中でも、劇の内容のような奇跡は起こらない。残酷な現実が淡々とそこに転がっているだけ。でもそれが人生というもので、受け入れなければ仕方がない。反出生主義の死にたがりに一瞬でもこう思わせてしまうような小説、すごすぎ。

 なんとこの著者現役の精神科医(執筆時)らしい。ブックオフでタイトルに惹かれ、なんとなく手に取って裏表紙のあらすじを読んだらそう書かれていた。そんなの絶対買うに決まっている。著者は、作中に出てくる院内で非道の限りを尽くすポン中のヤクザですら「人にうとまれながらあんな具合に生き続けるのは本人も苦しいものです。」「噴き出す血は、それまでの苦しみがやっと出口をみつけ、ほとばしるかのようでした。」(本文から引用)と書いている。どんな極悪人でも、病んだ者には救いの手を差し伸べる。彼のそんな医者としての矜持が見てとれた。今精神病患者が起こした大量殺人事件の裁判が話題になっているが、本人の問題もあるけれど、環境というか適切な医療を受けさせなかった周囲の人間や見抜けなかった医療機関にも大きな責任があると思う。あまり声を大にして言えることではないのですがね。だからって罪が軽くなるかどうかは難しいところなんだよな。

 読了後映画になっているのを知り、それも見た。現代風にアレンジされていたし、残酷すぎる設定はカットされていたけれど、概ねストーリー通りの内容になっていて良かった。ただ上記のヤクザがただの悪者として終わったり見せ場のラストシーンが大きく改変されていたりで、原作を読んだ後だと物足りなく感じる。アニメ化や実写映画化にありがちな「原作を見てくれ」ってやつだ。女子中学生の中絶の描写から始まったもんで序盤からもうド鬱の限りだったが、本当に読んでよかったし、多くの人に読んでほしいと思った1冊だった。機会ありましたらぜひ。